重い腰は、いつも重い。だけど、誰かが言っていた。「腰が重いなら、まず目を動かせ」と。だから僕は、まず画面に目を落とす。EXCELとにらめっこだ。
気づけば、締め切りは静かに、確実に近づいている。ゆるやかな水位の上昇のように、何も言わずに足元を濡らしてくる。
だから今日も、数えることから始める。頭じゃなく、指を動かす。思考じゃなく、手を動かす。とにかく数える。とりあえず、数え上げる。
——89人。
手元のリストには、それぞれ違う物語を背負った患者たちが並ぶ。だけどこの研究のためには、全員を追えるわけじゃない。天秤にかけるように、僕は絞り込む。
RA以外の基礎疾患で、4除外。転院のために治療介入での評価ができないが30。First bioではないのが40。3か月未満で終了が2。
——対象者は13。
EXCELのセルをひとつひとつなぞりながら、コーヒーは冷める。椅子は痛い。けれど、不思議と集中は切れない。
患者フローの骨格を、これでつくれる。散らばっていたピースが、すこしだけ、形を成してきた気がする。これは、まだ“結果”じゃない。でも、ここからすべてが始まるのかもしれない。
Kenneth Rothmanの『Epidemiology: An Introduction』には、患者フローという言葉は出てこない。だけど、それを描く意味は、ちゃんとそこに書かれている。
「誰を研究対象にして、なぜ、誰を除外したのか」
その問いに答えられない研究は、やがて足元から崩れていく。選定基準と除外基準は、あとから眺めても、他人が見ても、「なるほど」と思えるほどに透明でなくてはならない。
それは、統計でも計算でもない。ただ、誠実であること。そして、自分の問いに自分で責任を持つということ。
患者フローを描くというのは、研究のはじまりに、静かに旗を立てることだ。自分がいま、どこにいて、どこに向かおうとしているのか。その風景を、見失わないように。
地図を描く。
【2025年臨床リウマチ学会総会へ向けて-14】