2026年1月27日火曜日

全部を語らないという選択

 スライド作りが、いよいよ佳境に入った。

今回は内科地方会での症例報告だ。


正直に言えば、この年齢での演者は少ない。

内科地方会は、どちらかというと若手の登竜門のような学会だ。

初めての発表、初めての質疑応答、初めての緊張。

そういう空気が、会場には確かにある。


でも、これまでも僕は見てきた。

若手に交じって、諸先輩方がぽつりと演者として立つ姿を。

最新の研究成果だったり、地道に積み重ねた症例報告だったり。

派手さはないけれど、静かに芯の通った発表。


あのとき、正直に思っていた。

「なぜ、今さらこの場所で発表するんだろう」と。


今なら、その理由が少しわかる気がする。


それはきっと、若手のため“だけ”ではない。

ましてや評価のためでも、肩書きのためでもない。

自分のため。

目の前の症例を、もう一度きちんと省察するため。

自分の臨床を、自分自身の言葉で整理し直すため。


10年前と、今とでは、発表に対する心構えがまったく違う。

昔は、

「漏れなく説明すること」

「突っ込まれないこと」

「全部を正しく並べること」

に必死だった。


今は違う。


どこに光を当てるか。

どこをあえて陰に落とすか。

その選択こそが、発表者の仕事なんだと思うようになった。


すべてを丁寧に説明することが、必ずしも誠実とは限らない。

大事なのは、正しさを保ったまま、どうデフォルメするか。

聞き手の時間と集中力を信じて、

“伝わる形”に削ぎ落とすこと。


症例は、ただの事実の羅列ではない。

どこに違和感があり、

どこで立ち止まり、

何を問い続けたのか。

その軌跡こそが、共有されるべきものだ。


内科地方会という場所で、

もう一度、自分の臨床を言葉にする。

それは、若手に戻ることではない。

むしろ、今の自分だからこそできる整理なのかもしれない。


スライド作りは、まだ続く。

でも、不思議と焦りはない。

この時間そのものが、すでに発表の一部なのだと思っている。

2026年1月25日日曜日

使えるかどうか、続いているかどうか

ナノゾラ適正使用講演会のために東京へ行ってきた。


最初のセッションでは、震災時における生物学的製剤の取り扱いについて、新しい知見を聞くことができた。

生物学的製剤には「過酷試験」が行われており、温度変化や振動など、どの程度の環境までなら使用可能かが検証されているという話だった。災害時はどうしても「使えないかもしれない」という判断に寄りがちだが、実際には想像よりも現実的な選択肢が残されている。

災害時、医療者は「安全側」に倒れがちだ。でも、その判断が本当に患者さんの利益につながっているのか、改めて考えさせられた。

こうした知見は、平時にはあまり意識されないけれど、いざという時に診療の幅を狭めないために、とても大切だと思う。今日の一番の“持ち帰り”は、間違いなくここだった。


そして今日のもう一つの出来事。

研修医時代に、7か月間血液内科で指導してもらった竹内先生と、たぶん10年ぶりくらいに再会した。


血液内科と聞くと、今なら「大変だった」「勉強漬けだった」と言いそうになるけれど、実際の記憶は少し違う。

確かに忙しかったけれど、それ以上に、よく笑って、楽しく、必死にがんばっていた時間だった。完璧に理解していたわけでもないし、毎日余裕があったわけでもない。でも、あの空気の中で前に進んでいた感覚は、今でもはっきり覚えている。


講演会後の立食パーティーでは、思っていた以上にゆっくり話すことができた。

近況の話や、当時のエピソードを交えながら話していると、10年という時間が一気に縮まる。指導医と研修医、という関係を越えて、同じ医療の世界を歩いてきた「続きの会話」ができた気がした。不思議と時間の隔たりは感じなかった。

あの頃教えてもらったことは、形を変えながら、今の自分の診療の中にちゃんと残っているのだと思う。


新しい知識を持ち帰り、懐かしい人とたくさん話せた一日。

東京の人混みの中だったけれど、今日はどこか、肩の力が抜けた、いい出張だった。

2025年12月31日水曜日

目標を立てすぎないという目標

 最近、あまり具体的な目標というものは立てすぎないようにしよう、と思っている。

数字や期限で自分を囲いすぎると、その檻の中で息苦しくなる。

それでも、年末というのは不思議なもので、立ち止まって、来年のことを考える時間が、半ば強制的に与えられる。

診療がひと段落し、カレンダーの余白が目に入ると、「来年は、どんな一年になるんだろう」と、自然に思ってしまう。

来年は2月には名古屋で内科学会があって、これはもう演題内容は決まっているし、エントリー済み。発表スライドをつくり、まとめあげていくといったレールにもう乗っている。
もうひとつ、12月には宮﨑で臨床リウマチ学会。実は今回の長崎での帰りの飛行機の中でなんとなく構想が思い浮かんで、少し先行研究でも調べてみるかという段階ではある。
かたちにして、宮崎の場に立っていたいな、と思っている。

「必ず出す」「このテーマでやる」とまでは、まだ言わない。
ただ、頭の片隅に、小さな付箋のように貼っておく。
忙しい日常の中で、「あ、あの学会があるんだったな」と思い出せる程度にしておく。

目標というより、方向感覚に近いのかもしれない。
北極星を決めるだけで、歩き方はその都度考える、そんな感じ。

来年も、思うように進まないこともたくさんあるだろう。
それでも、学会で発表するという“節目”があることで、自分の立ち位置を確認できる。

具体的すぎない目標。
でも、何も考えないわけではない。
年末の静かな朝に、そんなことを考えている。

2025年11月29日土曜日

先頭打者ホームランというわけにはいかなかったけれども、長崎の光の中で未来の背中を追い始めた

朝いちばんの発表が終わった瞬間、胸の奥の霧がふっと晴れた。

半年分の緊張が、出島メッセの裏口にそっと置き忘れてきた荷物みたいに、気づけばそこにない。

同じ会場では、僕より二回りほど年上の先生たちが、外来と生活のすきまから丁寧に紡いだ研究をまっすぐ発表していた。

白い光の中で揺るがない背中を見ながら、思わず問いが浮かぶ。

二十年後の僕は、あんなふうに立っていられるのだろうか。

積み重ねという言葉では足りない、生活と学問の重さのようなものが、あの姿には確かに宿っていた。

しかも、今日の僕のセッションは、最初の演者が取り下げになったことで、いきなり僕が先頭打者になった。

バッターボックスのライトが思いのほか眩しくて、でも目を細めたら負けのような気もして、静かにスライドの光を見つめてスタートした。

気づけば数分間、無我夢中で走り抜けていた。


発表後、長崎の冬の光の下に出ると、肩の力がふっと抜けた。

ランチョンではシェーグレン「病」の話を聴いた。

気づけば呼び名も“症候群”から“病”へ変わりつつあるらしい。

病名ひとつの変化が、なぜか臨床の風景を少し違って見せてくる。


その前の時間には、SLEのセッションも聴いた。

知識の棚にひとつ引き出しが増えて、今日ここに来た意味が胸の中で小さく灯った。


会場をいったん離れたのは、発表の余韻を抱えたまま、ほんの少しだけ静かな場所に逃げたかったからだ。

入ったカフェにはカフェインレスがなくて、代わりに“本物”のカフェイン入りホットコーヒーを頼んだ。

久しぶりの苦みが、溶けた緊張の隙間にじんわり染み込んでいく。

最高においしい、と思った。

ああ、これでやっと今日という日の体温に戻れた気がした。


このあと会場に戻ったら、免疫チェックポイント阻害薬のシンポジウムと、移行期医療のセッションを聴く。

そしてそのあとは、そそくさと長崎空港へ向かう予定だ。


学会という大きな潮流の中で、僕は今日、自分の未来の姿をほんの少しだけ覗いた気がする。

カフェの窓の外では、長崎の昼の光が静かに揺れている。

コーヒーの湯気の向こうで、今日という日がようやく僕の手のひらに落ち着きはじめている。

先頭打者ホームランは打てなかったけれど、長崎の光の中で未来の背中を追い始めた。

2025年11月28日金曜日

長崎へ向かう朝、声に出す。

まだ早い時間のはずなのに、発表原稿の文字はずいぶん前から起きていたように見える。

僕は喉をひとつ鳴らして、ゆっくりと言葉を声に出してみる。
ここ1週間、似たようなフレーズを繰り返してきた。
積み上げてきたものの重さが、声の振動のどこかに宿っている気がする。

今日は空が白がる前に、通しで何度も練習しておきたい。
16時には外来を締めて羽田へ向かう。
本来なら明日も患者さんを診ていたはずで、そのことが朝の静けさの中で、かすかな後ろめたさとして胸の隅に漂っている。
けれど、ここまでやってきた半年を思えば、この時間は必要なものなんだと、自分に言い聞かせる。

声に出すたびに、原稿のリズムが微妙に変わる。
数字の並びが少しだけ体の深いところに沈んでいく。
外はまだ淡い光のままで、その光が部屋の空気を薄く揺らしている。

長崎までは、あと少しだ。そう、今年の臨床リウマチ学会は長崎なのだ。
発表そのものより、ここまでの道のりのほうがむしろ長かった。
そのことを確かめるように、僕はもう一度、丁寧に一行目から声に出して読み始める。

2025年11月8日土曜日

パンデミックがまだ教科書の言葉だった16年前。その言葉が現実になった6年前。そしてまだ見ぬ4年後の僕へ。

 医師会の新興感染症対策研修会に参加した。

司会の先生が最後に言った言葉が耳に残っている。


「パンデミックは2009年、2019年と10年ごとに起きています。

もしかしたら2029年にも、何かが来るかもしれません。」


この「10年ごとに」という言葉には、ある種の時間意識が潜んでいる。

僕たちはしばしば、歴史を“出来事の列”としてではなく、“リズム”として記憶している。

つまり、10年に一度やってくる不意打ちは、偶然ではなく、ある「周期」として受け止められてしまう。


2009年の新型インフルエンザ。2019年の新型コロナウイルス。

それぞれの年に、社会は一度立ち止まり、

「普段当たり前だと思っていたこと」を疑い、

「人と距離を取る」という、最も社会的なことの反対を経験した。


次に2029年がやってくる。

そのとき、僕たちはまた「備えよう」と言うだろう。

けれども本当に必要なのは、「備え」という語の中身を入れ替えることではないか。

備えとはマニュアルや物資のことではなく、

自分が「想定外に動揺しない」ための思考の柔軟さ。


パンデミックはウイルスの問題であると同時に、社会の鏡でもある。

10年ごとの災厄のたびに、

僕たちはその鏡にどんな顔を映すのか。

そう考えると、「備える」という言葉の重さが、少し違って聞こえてくる。

2025年11月2日日曜日

「なんとなくおかしい」を信じてよかった

 内科地方会への抄録登録を終えた。

テーマは「ステロイド減量時に低Na血症が顕在化し、アジソン病の合併を認めた血清反応陰性関節リウマチの一例」。


一見、リウマチの活動性や薬剤性の電解質異常に見える中で、

「どこかおかしい」と感じて、迅速ACTH刺激試験を行った。

小さな検査だったが、それが診断の決め手となった。


アジソン病という言葉は、教科書では知っていても、

実際の臨床の現場で出会うことは多くない。

それでも、見逃さないためには、

「違和感をそのままにしない」ことが大切だとあらためて感じた。


抄録を書くたびに思う。

診療の記録は、過去の診察の整理であると同時に、

未来の診療を変えるためのメモでもある。


この小さな症例報告が、

どこかで誰かの「もしかして」に繋がればいいと思う。

全部を語らないという選択

 スライド作りが、いよいよ佳境に入った。 今回は内科地方会での症例報告だ。 正直に言えば、この年齢での演者は少ない。 内科地方会は、どちらかというと若手の登竜門のような学会だ。 初めての発表、初めての質疑応答、初めての緊張。 そういう空気が、会場には確かにある。 でも、これまでも...