2025年7月12日土曜日

「足りないものを、足りないままにしてはいけない」——副腎と関節の話

なんとなく、という言葉は不思議だ。

なんとなく疲れる、なんとなく食欲が出ない、なんとなく朝がつらい——そういう“なんとなく”の体調不良は、いつも言葉の後ろに小さく居座っていて、明確な病名を持たずにただ、そこにいる。

関節リウマチという病気は、名前だけは強そうだけれど、その実、地味に痛くて、地味にしつこくて、でも確実に日常を侵食していく。

そんな病とつきあっている人たちは、たいていステロイドともうまくつきあっている。

ステロイドはよく効く。けれど、長く使っていると、副腎が「あ、もう自分でコルチゾール出さなくていいんだ」とサボりはじめる。で、気づいたときには、副腎不全になっている。

これは医原性の副腎不全——つまり、治療のせいでそうなったという話だ。


でも、今回読んだ論文には、それだけじゃない可能性が書かれている。

リウマチの人の中には、そもそも自分の副腎を自分の免疫が攻撃してしまって、コルチゾールが出せなくなる人がいる。Addison病。

関節の痛みも、副腎の疲弊も、免疫の“過剰な正義”によるものだとしたら、それはもう体の中で内戦が起きているようなものだ。

自分の一部が、自分の別の一部を敵だと勘違いして、正義の名のもとに傷つけ続けてしまう。

副腎からコルチゾールが出なくなると、体がうまくストレスに対応できなくなる。

ただでさえ日常生活に痛みがついてまわるのに、さらに「ストレスに弱くなる」というのは、地味に辛い。

しかも、その不調は、リウマチのせいなのか、副腎のせいなのか、誰にもわからない。

だから、こういうときには血液検査をする。朝早くのコルチゾール値を測って、ACTHの刺激にどれくらい反応するかを調べる。

でも、本当に大切なのは、その前に「この人、もしかしてAddison病かもしれない」と思えるまなざしを持っているかどうかだ。

病気は、名札をつけて待っていてくれるわけじゃない。

ただ静かに、静かに、影を落とすように存在している。

副腎が出せなくなったホルモンを、外から補ってあげる。それは、“足りないものを、足りないままにしておかない”というほどこしだ。

リウマチを診るということは、関節だけを見ることじゃない。

免疫という、自分の中の“正義”の暴走を、どうやって静かに宥めるかを考えることでもある。

その過程で、見えづらい不調を拾い上げる力が、僕たちにはきっと必要なんだと思う。

[Adrenal insufficiency in Patients with Rheumatoid Arthritis: Prevalence, Clinical Implications, and Management Strategies]

「足りないものを、足りないままにしてはいけない」——副腎と関節の話

なんとなく、という言葉は不思議だ。 なんとなく疲れる、なんとなく食欲が出ない、なんとなく朝がつらい——そういう“なんとなく”の体調不良は、いつも言葉の後ろに小さく居座っていて、明確な病名を持たずにただ、そこにいる。 関節リウマチという病気は、名前だけは強そうだけれど、その実、地味...