抄録を書いていた。
いや、正確には「抄録を送る準備をしていた」と言った方がいい。
ワードを開いては閉じ、また開いては別のファイルに寄り道する。そんな日々が続いていた。何も生み出さない時間が、画面の奥で静かに膨張していくようだった。
最初の一文が書けたのは、夜の書類整理がひと段落してからだった。いつもならNOBANACLINIC labo動画を創りだすところだったが、思いとどまった。そして、抄録を書き出した。締め切りが近いのだ。
「IL-6阻害薬導入患者におけるLDL-Cの変化について」
もうそれ以上、余計な言葉はいらなかった。
そこからは、手が勝手に動いた。データを並べ、数字を整え、統計処理の跡を踏み直すように、文を削ぎ落としていった。気づけばWordの文字カウントが「605文字」を指していた。日本語500文字以内、まだだ。もう少し、もう少しそぎ落とす。
それは、なにか小さな祈りのようにも見えた。
そして、朝。
学会の登録フォームにログインし、必要事項を淡々と入力し、「送信」ボタンを押した。あっけないほど軽やかなクリック音がした。
それだけのことだった。だけど、その一瞬に、幾夜もの葛藤と、何杯ものコーヒーと、机の上の散らかったポストイットたちが、すべて吸い込まれていった。
提出完了のメールを受信トレイで見つけたとき、思わず笑ってしまった。小さく、だれにも聞こえないくらいに。
あとは、待つだけだ。採択されるかどうかは、もう僕の手の中にはない。
でも、送ったことは事実だ。送れたことが、今はただ、嬉しい。
身体が軽い。