2025年5月31日土曜日

地図を描く

重い腰は、いつも重い。だけど、誰かが言っていた。「腰が重いなら、まず目を動かせ」と。だから僕は、まず画面に目を落とす。EXCELとにらめっこだ。

気づけば、締め切りは静かに、確実に近づいている。ゆるやかな水位の上昇のように、何も言わずに足元を濡らしてくる。

だから今日も、数えることから始める。頭じゃなく、指を動かす。思考じゃなく、手を動かす。とにかく数える。とりあえず、数え上げる。

——89人。


手元のリストには、それぞれ違う物語を背負った患者たちが並ぶ。だけどこの研究のためには、全員を追えるわけじゃない。天秤にかけるように、僕は絞り込む。


RA以外の基礎疾患で、4除外。転院のために治療介入での評価ができないが30。First bioではないのが40。3か月未満で終了が2。


——対象者は13。


EXCELのセルをひとつひとつなぞりながら、コーヒーは冷める。椅子は痛い。けれど、不思議と集中は切れない。


患者フローの骨格を、これでつくれる。散らばっていたピースが、すこしだけ、形を成してきた気がする。これは、まだ“結果”じゃない。でも、ここからすべてが始まるのかもしれない。

Kenneth Rothmanの『Epidemiology: An Introduction』には、患者フローという言葉は出てこない。だけど、それを描く意味は、ちゃんとそこに書かれている。

「誰を研究対象にして、なぜ、誰を除外したのか」

その問いに答えられない研究は、やがて足元から崩れていく。選定基準と除外基準は、あとから眺めても、他人が見ても、「なるほど」と思えるほどに透明でなくてはならない。

それは、統計でも計算でもない。ただ、誠実であること。そして、自分の問いに自分で責任を持つということ。

患者フローを描くというのは、研究のはじまりに、静かに旗を立てることだ。自分がいま、どこにいて、どこに向かおうとしているのか。その風景を、見失わないように。

地図を描く。


【2025年臨床リウマチ学会総会へ向けて-14】

「足りないものを、足りないままにしてはいけない」——副腎と関節の話

なんとなく、という言葉は不思議だ。 なんとなく疲れる、なんとなく食欲が出ない、なんとなく朝がつらい——そういう“なんとなく”の体調不良は、いつも言葉の後ろに小さく居座っていて、明確な病名を持たずにただ、そこにいる。 関節リウマチという病気は、名前だけは強そうだけれど、その実、地味...