大学院時代、最初に手に取った疫学の教科書が Epidemiology: An Introduction という洋書でした。正直に言えば、英語が苦手だった僕にとっては、かなり手強い本でした。文章はまっすぐなのに、読み進めるたびに辞書と首っ引き。それでも先生、先輩には「3回は通読したほうがいい本だよ」と言われ、自分で読み、読み合わせ勉強会で読み、論文を書きながら読み、3回読み切ったのを今でも覚えています。その本の冒頭に書かれていた言葉が、今も心に残っています。「研究は、まず先行研究を調べることから始めなさい」誰かが歩いた道をなぞることが、結局は最短の近道になる。
そんな姿勢で「Lipid paradox(脂質パラドックス)」にも取り組みます。これは、関節リウマチの患者さんでは、悪玉とされるLDLコレステロールが低い人の方が、むしろ心臓病のリスクが高いという不思議な現象です。
リウマチと心臓病、一見関係なさそうに見えるかもしれません。でも実は、関節リウマチの患者さんは、健康な人と比べて心臓病になるリスクが1.5〜2倍ほど高いといわれています。動脈硬化が早く進んだり、血管の炎症が目立たなく広がったりすることが原因です。心筋梗塞や狭心症といった命にかかわる合併症が、関節の痛みや腫れの影に隠れて見えにくくなっている。それが、関節リウマチという病気のもうひとつの怖さでもあります。
この分野でよく知られた論文のひとつが、Myasoedovaらが2011年に発表した研究です。彼らは、リウマチの患者さん約650人のデータをもとに、LDLコレステロールが低いほど心血管疾患のリスクが高いという、いわば“常識とは真逆の関係”を報告しました。
Myasoedova E, Crowson CS, Kremers HM, Roger VL, Fitz-Gibbon PD, Therneau TM, Gabriel SE. Lipid paradox in rheumatoid arthritis: the impact of serum lipid measures and systemic inflammation on the risk of cardiovascular disease. Ann Rheum Dis. 2011 Mar;70(3):482-7. doi: 10.1136/ard.2010.135871. Epub 2011 Jan 7. PMID: 21216812; PMCID: PMC3058921.
例えるなら、空が青くて風も穏やか。でも、その向こうの海には真っ黒な嵐の雲が迫っている、そんな情景です。表面的には「数値がいい」と思えても、その数字が本当に“安全”を意味しているかどうかは別の話です。
慢性的な炎症は、コレステロール値を一時的に下げることがあります。でもそれは、リウマチが血管に与えているダメージを帳消しにしてくれるわけではありません。だからこそ、僕たちは「数字」だけを見るのではなく、その背景にある“体の本当の状態”を読み取る努力が必要だと感じています。
【2025年臨床リウマチ学会総会へ向けて-03】