2025年11月29日土曜日

先頭打者ホームランというわけにはいかなかったけれども、長崎の光の中で未来の背中を追い始めた

朝いちばんの発表が終わった瞬間、胸の奥の霧がふっと晴れた。

半年分の緊張が、出島メッセの裏口にそっと置き忘れてきた荷物みたいに、気づけばそこにない。

同じ会場では、僕より二回りほど年上の先生たちが、外来と生活のすきまから丁寧に紡いだ研究をまっすぐ発表していた。

白い光の中で揺るがない背中を見ながら、思わず問いが浮かぶ。

二十年後の僕は、あんなふうに立っていられるのだろうか。

積み重ねという言葉では足りない、生活と学問の重さのようなものが、あの姿には確かに宿っていた。

しかも、今日の僕のセッションは、最初の演者が取り下げになったことで、いきなり僕が先頭打者になった。

バッターボックスのライトが思いのほか眩しくて、でも目を細めたら負けのような気もして、静かにスライドの光を見つめてスタートした。

気づけば数分間、無我夢中で走り抜けていた。


発表後、長崎の冬の光の下に出ると、肩の力がふっと抜けた。

ランチョンではシェーグレン「病」の話を聴いた。

気づけば呼び名も“症候群”から“病”へ変わりつつあるらしい。

病名ひとつの変化が、なぜか臨床の風景を少し違って見せてくる。


その前の時間には、SLEのセッションも聴いた。

知識の棚にひとつ引き出しが増えて、今日ここに来た意味が胸の中で小さく灯った。


会場をいったん離れたのは、発表の余韻を抱えたまま、ほんの少しだけ静かな場所に逃げたかったからだ。

入ったカフェにはカフェインレスがなくて、代わりに“本物”のカフェイン入りホットコーヒーを頼んだ。

久しぶりの苦みが、溶けた緊張の隙間にじんわり染み込んでいく。

最高においしい、と思った。

ああ、これでやっと今日という日の体温に戻れた気がした。


このあと会場に戻ったら、免疫チェックポイント阻害薬のシンポジウムと、移行期医療のセッションを聴く。

そしてそのあとは、そそくさと長崎空港へ向かう予定だ。


学会という大きな潮流の中で、僕は今日、自分の未来の姿をほんの少しだけ覗いた気がする。

カフェの窓の外では、長崎の昼の光が静かに揺れている。

コーヒーの湯気の向こうで、今日という日がようやく僕の手のひらに落ち着きはじめている。

先頭打者ホームランは打てなかったけれど、長崎の光の中で未来の背中を追い始めた。

2025年11月28日金曜日

長崎へ向かう朝、声に出す。

まだ早い時間のはずなのに、発表原稿の文字はずいぶん前から起きていたように見える。

僕は喉をひとつ鳴らして、ゆっくりと言葉を声に出してみる。
ここ1週間、似たようなフレーズを繰り返してきた。
積み上げてきたものの重さが、声の振動のどこかに宿っている気がする。

今日は空が白がる前に、通しで何度も練習しておきたい。
16時には外来を締めて羽田へ向かう。
本来なら明日も患者さんを診ていたはずで、そのことが朝の静けさの中で、かすかな後ろめたさとして胸の隅に漂っている。
けれど、ここまでやってきた半年を思えば、この時間は必要なものなんだと、自分に言い聞かせる。

声に出すたびに、原稿のリズムが微妙に変わる。
数字の並びが少しだけ体の深いところに沈んでいく。
外はまだ淡い光のままで、その光が部屋の空気を薄く揺らしている。

長崎までは、あと少しだ。そう、今年の臨床リウマチ学会は長崎なのだ。
発表そのものより、ここまでの道のりのほうがむしろ長かった。
そのことを確かめるように、僕はもう一度、丁寧に一行目から声に出して読み始める。

2025年11月8日土曜日

パンデミックがまだ教科書の言葉だった16年前。その言葉が現実になった6年前。そしてまだ見ぬ4年後の僕へ。

 医師会の新興感染症対策研修会に参加した。

司会の先生が最後に言った言葉が耳に残っている。


「パンデミックは2009年、2019年と10年ごとに起きています。

もしかしたら2029年にも、何かが来るかもしれません。」


この「10年ごとに」という言葉には、ある種の時間意識が潜んでいる。

僕たちはしばしば、歴史を“出来事の列”としてではなく、“リズム”として記憶している。

つまり、10年に一度やってくる不意打ちは、偶然ではなく、ある「周期」として受け止められてしまう。


2009年の新型インフルエンザ。2019年の新型コロナウイルス。

それぞれの年に、社会は一度立ち止まり、

「普段当たり前だと思っていたこと」を疑い、

「人と距離を取る」という、最も社会的なことの反対を経験した。


次に2029年がやってくる。

そのとき、僕たちはまた「備えよう」と言うだろう。

けれども本当に必要なのは、「備え」という語の中身を入れ替えることではないか。

備えとはマニュアルや物資のことではなく、

自分が「想定外に動揺しない」ための思考の柔軟さ。


パンデミックはウイルスの問題であると同時に、社会の鏡でもある。

10年ごとの災厄のたびに、

僕たちはその鏡にどんな顔を映すのか。

そう考えると、「備える」という言葉の重さが、少し違って聞こえてくる。

2025年11月2日日曜日

「なんとなくおかしい」を信じてよかった

 内科地方会への抄録登録を終えた。

テーマは「ステロイド減量時に低Na血症が顕在化し、アジソン病の合併を認めた血清反応陰性関節リウマチの一例」。


一見、リウマチの活動性や薬剤性の電解質異常に見える中で、

「どこかおかしい」と感じて、迅速ACTH刺激試験を行った。

小さな検査だったが、それが診断の決め手となった。


アジソン病という言葉は、教科書では知っていても、

実際の臨床の現場で出会うことは多くない。

それでも、見逃さないためには、

「違和感をそのままにしない」ことが大切だとあらためて感じた。


抄録を書くたびに思う。

診療の記録は、過去の診察の整理であると同時に、

未来の診療を変えるためのメモでもある。


この小さな症例報告が、

どこかで誰かの「もしかして」に繋がればいいと思う。

先頭打者ホームランというわけにはいかなかったけれども、長崎の光の中で未来の背中を追い始めた

朝いちばんの発表が終わった瞬間、胸の奥の霧がふっと晴れた。 半年分の緊張が、出島メッセの裏口にそっと置き忘れてきた荷物みたいに、気づけばそこにない。 同じ会場では、僕より二回りほど年上の先生たちが、外来と生活のすきまから丁寧に紡いだ研究をまっすぐ発表していた。 白い光の中で揺るが...