朝いちばんの発表が終わった瞬間、胸の奥の霧がふっと晴れた。
半年分の緊張が、出島メッセの裏口にそっと置き忘れてきた荷物みたいに、気づけばそこにない。
同じ会場では、僕より二回りほど年上の先生たちが、外来と生活のすきまから丁寧に紡いだ研究をまっすぐ発表していた。
白い光の中で揺るがない背中を見ながら、思わず問いが浮かぶ。
二十年後の僕は、あんなふうに立っていられるのだろうか。
積み重ねという言葉では足りない、生活と学問の重さのようなものが、あの姿には確かに宿っていた。
しかも、今日の僕のセッションは、最初の演者が取り下げになったことで、いきなり僕が先頭打者になった。
バッターボックスのライトが思いのほか眩しくて、でも目を細めたら負けのような気もして、静かにスライドの光を見つめてスタートした。
気づけば数分間、無我夢中で走り抜けていた。
発表後、長崎の冬の光の下に出ると、肩の力がふっと抜けた。
ランチョンではシェーグレン「病」の話を聴いた。
気づけば呼び名も“症候群”から“病”へ変わりつつあるらしい。
病名ひとつの変化が、なぜか臨床の風景を少し違って見せてくる。
その前の時間には、SLEのセッションも聴いた。
知識の棚にひとつ引き出しが増えて、今日ここに来た意味が胸の中で小さく灯った。
会場をいったん離れたのは、発表の余韻を抱えたまま、ほんの少しだけ静かな場所に逃げたかったからだ。
入ったカフェにはカフェインレスがなくて、代わりに“本物”のカフェイン入りホットコーヒーを頼んだ。
久しぶりの苦みが、溶けた緊張の隙間にじんわり染み込んでいく。
最高においしい、と思った。
ああ、これでやっと今日という日の体温に戻れた気がした。
このあと会場に戻ったら、免疫チェックポイント阻害薬のシンポジウムと、移行期医療のセッションを聴く。
そしてそのあとは、そそくさと長崎空港へ向かう予定だ。
学会という大きな潮流の中で、僕は今日、自分の未来の姿をほんの少しだけ覗いた気がする。
カフェの窓の外では、長崎の昼の光が静かに揺れている。
コーヒーの湯気の向こうで、今日という日がようやく僕の手のひらに落ち着きはじめている。
先頭打者ホームランは打てなかったけれど、長崎の光の中で未来の背中を追い始めた。