2025年8月17日日曜日

朝の手直し

来週は大正製薬での研修会。社員さんに向けた社内講演が控えている。

まだ空が白んでいるうちに机に座り、スライドを一枚ずつ直していく。

鳥の声がして、外はもう夏の匂いがした。


患者さんでもなく、薬剤師さんでもなく、お医者さんでもなく、製薬会社の社員さんたちに話すためのスライド。

相手が変わると、選ぶ言葉も変わっていく。


昔は自分が評価されたい気持ちで、学会用のスライドを必死に作っていた。

文献の引用をしまくり、論に穴がないか検証に余念なく、スライドを構成する。

原稿を完璧に仕上げて読み上げたり、丸暗記したりして発表していた。


でもいろいろな場所で発表を重ねるたびに、聴くたびに、

「なんか違う」と心のどこかで感じていた。

自分の発表はパッチワークみたいな気がしていた。


今が正解かはわからない。

ただ、だんだんだんだん、自己満足ではないスライドをつくれるようになってきた気がする。

聴講者が聴きたいことを想像し、それに対して僕が日々感じていることを、自分なりに消化したかたちでスライドをつくる。

目の前の人に向けて、その場で出てきた言葉で話す。

自分の消化していない文献のパッチワークはもうやめたんだ。


どんな場所なのか、だれが聴講者なのか、なにが聴きたいのか。

そして、僕が話す理由。

2025年8月6日水曜日

あの頃の自分に会いに行く

 10年ぶりに、内科地方会に症例報告を出すことにする。内科地方会での発表なんて、もう若手のやることだと思っていた。実際、あの会はそういう場だと教わった。プレゼンの練習台。若手の登竜門。それは今も、たぶん変わらない。

けれど、どうしてだろう。十年たった今も、あのときの光景を、はっきり思い出す。

僕が発表していた会の別会場で聴講していた中で、僕が初期研修した病院の神経内科の年配の先生が、静かに研究発表をしていた。若手に混じって。淡々と。少し小さめの声で。誰よりも、聞いてほしいことがそこにあるように感じた。

また別の、見知らぬベテランの先生は、無駄を削ぎ落とした短いスライドと、的確な口調で会場を引き込んでいた。あれはかっこよかった。今でも目に焼きついている。

誰が発表してもいいのだと、あのとき確かに思った。若手だけのものじゃない。あの場所は、誰かが何かを伝えたいと思うかぎり、開かれている。

今回、僕もそういう気持ちになった。成長したい。誰かに見てもらいたい。間違いがあれば、指摘されたい。そんなまっとうな願いを、忘れずに持っていたい。

だから、症例報告を出すことにした。十年ぶりの内科地方会に、十年越しの、自分なりの「問い」を。

医者としての年月が、経験とともに、鈍さも連れてくることがある。それに抗うように、自分の手で「初心」を灯し直してみる。

また、あの会場の静けさの中に立ってみよう。今の僕の声が、どこまで届くのか、確かめるために。

しかしまだ、次の会場の日時と場所が決まっていない。

先頭打者ホームランというわけにはいかなかったけれども、長崎の光の中で未来の背中を追い始めた

朝いちばんの発表が終わった瞬間、胸の奥の霧がふっと晴れた。 半年分の緊張が、出島メッセの裏口にそっと置き忘れてきた荷物みたいに、気づけばそこにない。 同じ会場では、僕より二回りほど年上の先生たちが、外来と生活のすきまから丁寧に紡いだ研究をまっすぐ発表していた。 白い光の中で揺るが...