データの森に迷い込んだ。年齢、性別、血液検査の数値。薬の種類、併用薬剤とその用量。人の数だけ物語があり、数字の数だけ、暮らしがにじむ。
僕たちが「患者背景」と呼んでいるものは、決してただの表やリストではない。むしろそれは、出会ってきた人たちの時間の積み重ねでできた、静かな年輪のようなものだ。
『Epidemiology: An Introduction』(Kenneth J. Rothman著)の第1版・第2版いずれでも、患者背景の要約(descriptive statistics / descriptive epidemiology)については以下のように記載してある。
「研究対象者の特徴を記述することは、結果の適用可能性を理解するためだけでなく、バイアスや交絡の可能性を評価するうえでも不可欠である」
かみ砕けば、「だれを対象にしたかってことは、研究の“顔”みたいなもので、それをちゃんと見てないと、あとで迷子になるよ」ということだと思う。
たとえば、ある薬の効果を調べるとき。
年齢が高めの人ばかりに使っていたら、その薬の印象も年齢と一緒に変わって見えてしまうかもしれない。ACPA陽性の人ばかりだったら、それはそれで偏った物語になるかもしれない。そういうとき、数字の中に目をこらす。平均、中央値、分散、四分位範囲。バラバラに見える人たちの横顔を、少しずつ立体にしていく。数字は、人を測るものじゃない。けれど、数字に宿る「ひと気(け)」を感じることはできる。そこには生活があり、痛みがあり、選択がある。「この人たちに、薬はどう届いたか」その問いの前には、「この人たちは、どんな時間を生きてきたのか」という問いが、必ず先にある。
患者背景をまとめるというのは、つまり、そういう「前のめりな敬意」のかたちなのかもしれない。データという森の中に、一本ずつ木の名前をつけていくような。研究という旅路の最初に、地図を描くような。今日もまた、EXCELとRを開きながら、そんなことを思う。
さて、患者背景もどうやってまとめるんだっけな。そうそう、そんな時は丁寧に大学院時代に作成した自分の論文を見返すわけだ。やっぱり、ひとめで文章から10年以上前のことが鮮明に浮かび上がってくる。本気で向き合った時間は宝物以外の何物でもない。
【2025年臨床リウマチ学会総会へ向けて-18】